12/24 20:17 UP! インド旅行記四の巻【聖なるドブ川ガンジス川】 JIRO(ジロウ)(35)
見に来てくれてありがとうございます
ジローです!
巨大な建造物に圧倒され、
カオスな街の空気を体で感じ、
ガンジャを探しもとめ、
親切なガイドに金を巻き上げられ、
行き先も分からぬ電車に飛び乗る2人。
向かうは聖なるドブ川ガンジス川で有名なバラーナシ。
果たして旅の行末はいかに…
何とか乗り込んだ列車はみるみるうちに速度を上げ、大きく弧を描き進むにつれて先程の駅が小さくなっていった。
乗ったはいいが座席の張り紙にはワイたちの名前はない。
思い悩んでいても仕方ないのでまずはその席へ向かう事にした。
乗客車両の扉を開けるとそこは人、人、人。
所狭しと座席には人が座っており、通路にも人が行き交い頭上の荷台置きには荷物が積み上がっていた。
キャリーバッグを引きながら人混みを掻き分けて目的の席を目指す。
2人席が向かい合わせになった4人掛けの席には子供も含め5人座っていた。
パッと見た印象ではどうやら家族連れだ。
ワイの席には小太りのおばさんが座っていた。
ムスッとした表情で
「なんだい?アンタら。うちに何か用かい?」
といった表情でこちらを振り向く。
ワイは持っていたチケットを見せておばさんに言った。
「This is my seat!OK?」
おばさん目をつむり首を横に振る。
ワイ「This is my seat!OK?」
おばさん首振る。
ワイ「This is my seat!OK?」
おばさん首振る。
ダメだらちがあかないと思った矢先、周囲にいた取り巻きがなんだなんだと物珍しげに声をかけてくる。
インド人はおせっかいで物珍しいことにはすぐに首を突っ込みたがるクセがあり、何かあればどうしたどうしたとイベント発生のごとく近寄ってくる。
取り巻きにチケットを見せこの席はワイの席だ。
なのになぜ先に人が座っている。
という旨を9割ジェスチャーで伝え取り巻きはチケットと席番号を見比べて頷く。
取り巻き「確かに、ここはお前たちの席だ!」
そうだろそうだろ、ほら分かったら早くチェンジだ的なことをおばさんに9割ジェスチャーで伝えても一向に動く気配がない。
そしておもむろにポケットに手を入れそこから自分のチケットを出してきた。
それを勝ち誇ったような表情でワイの目の前に持ってくるやいなや席番号を指差した。
なんとそこには同じ席番号が表記されていたのだ。
人生このかた初めてダブルブッキングなる言葉を知った。
同じ席をワイたちと別の乗客2組に発券していた。
これならこちらがゴネても座席番号が合っていたのでおばさんが退くはずがない。
マジかと諦めざるを得ない状況を目の当たりにしながら幼馴染と車両と車両の繋ぎ目の渡り廊下へ出た。
キャリーバッグを椅子がわりに腰掛けて手動の乗り口扉の外を見ると随分夜が深くなり辺りは真っ暗だった。
ポツリポツリと時折り民家の灯りが通り過ぎて行く中でこの先10時間もその状態が続くなんてことは考えもしていなかった。
渡り廊下は意外に広く、途中トイレがあり次の車両へと繋がっている。
その渡り廊下には席に座りそびれた人たちが毛布を敷いてその上に座っていた。
日本人が珍しいのかそのうちの1人が話しかけてきた。
※三の巻に載せた写真の右の男性がその人
目逝き「おい、お前たちも座りそびれたのか?この先どこへ行くんだ?」
ワイ「ダブルブッキングでどうしようもない、次はバナーラシへ行くねん」
目逝き「そりゃ傑作だwまぁ気を落とさず楽しもうぜ!どうだ、このオヤツでも食って機嫌なおせよ!」
と怪しい半分熟したようなプルーン的なものを渡された。
何が入っているのかも分からないので流石にその場で捨てることは出来ず口には含むが手で隠してすぐに吐き出した。
味は覚えていないがとても渋かったように思う。
そのあとちょくちょく目逝きの仲間たちも話すようになり、そのうちの1人とタバコを吸おうとなった。
どこで吸うか聞くとトイレで吸えるぞとこっちへ来いよ的な手を振る。
トイレの中にデカデカと
「No smoking」と書いた張り紙がしてある。
大丈夫か?と聞くと「No problem」なんて軽くいうから一応周りを見渡してタバコを吸う。
旅が進むにつれてインド人を本気で信用してはいけないと体で覚えてきた頃であった。
キャリーバッグの上へ座り腕組みをしながら半寝のまま列車に揺られて一晩過ごす。
中にはとても親切なインド人も居た。
何駅か停車する度に人の出入りがあり、その都度ワイたちに荷物は気をつけろ!出て行く客が持ち去ることもあるからちゃんと持っておけと忠告してくれるのだ。
それが列車が停まる度に言って来てくれるのである。
日も明け出した頃客席車両の入ってすぐの両サイドの3人掛けのベンチ席が空いていることに気づいたワイたちはすぐにその席へ移動した。
8時間ぶりの椅子に座りしばらくすると迷彩柄の服を来た軍人が車両へ入って来る。
ここでもテロリスト対策で軍人が見回りしているのだが何とその軍人がワイたちの隣の1席空いているベンチに座った。
[幼馴染、ワイ、軍人]の並び。
軍人の肩にはランボーで出て来そうな黒光りしたマシンガンが掛けられていた。
ガチもんの銃を見たのは後にも先にもインドだけである。
時々チラッとこちらを見ては目を逸らす。
沈黙が続いた後、軍人はどこかへ行った。
そしてその頃からあるもう一つの問題があることに気づいたのだ。
ワイたちどこで降りればいいん?
今どの辺り?バナーラシの手前?もう過ぎた?
列車のチケットはもらったが行き先の駅名なんて書いていない。
急にことの重大さに気づいたワイたちはなりふり構わず乗客に聞いて回った。
ワイ「バナーラシに行きたいけど何駅で降りればいいん?」と9割ジェスチャーで聞いて回ると3人ほどの人がどうしたどうしたと寄ってきた。
事情を説明すると皆んな真剣に教えてくれるのだ。
そう、真剣に。
ただ、3人が3人言ってる駅が全て違うという訳の分からない状態になった。
この辺りがいかにもインドらしいのだ。
しかも親切に「バナーラシ駅」のように分かりやすい駅ならまだしも全て聞いたこともない名前の駅でどうするか悩む。
幸いまだ着いてはいないらしくギリギリまで悩んだ末に、1番頭の良さそうなメガネをかけた大学生の言うことを聞くことにした。
それももう着くぞと到着駅手前の出来事で押し出されるようにワイたちは列車を降りた。
結論から言うとその駅で合っていた。
やっぱり頭の悪そうなオッサンの言うことは信じちゃいけないなとますます体で覚えていた。
そしてそれと同時にほら見たことかと言わんばかりにプラカードを持ったガイドなんてどこにも居ない。
心の免疫が出来てきたワイたちはすぐにタクシーを呼び客の取り合いをしようと集まった5、6人の運転手に法外な値段の交渉をしてそれを渋々受諾したタクシーに飛び乗りバラーナシへ向かった。
少しずつガンジス川なるものが見えてきた。
大きな橋に差し掛かる手前、急にタクシーが路肩へ停まり運転手が降りろと促す。
何があったのか全く理解出来なかったがトランクから荷物を降ろして運転手に話を聞くと何やらお前たちのガイドが今から来る。
だからそっちの車に乗り換えろと言う。
どゆこと?
話の流れが分からずにいると後ろから2人のインド人が車で駆けつけてきた。
そのインド人は漢字で「祭」と赤文字で書かれた水色の半被を着ていた。
やけに陽キャでカタコト日本語でやたらと話しかけてくる。
もう1人は弟らしくこれまた隠キャでボソボソと一言二言話す程度だった。
インドの情報網はどうなってるんだろう。
無線で日本人が2人到着するはずだ、乗せたタクシーの運転手は至急知らせよ的なことが通達されていたのかは分からないがどうやらこの人たちがガイドのようだった。
大きな橋を渡りまずはホテルへ向かう。
鍵を受け取り荷物を置いた後少し街案内をしてくれるみたいでガイドと一緒に街に出た。
ホテルは中心街の少し外れで芝生の広場があるような見晴らしの良い場所だったが中心街は全く違った。
所狭しとひしめく壁続きの民家が続きどこまでも続く裏路地のような道路はまるで迷路そのものだ。
一度迷うと今どこにいるのか、全く分からないほど入り組んでいる。
ガイドに連れられながら一通り見て周り、一度ホテルへ向かう途中この街で気をつけることを忠告された。
一つはガンジャ売りには気をつけること。
警察とグルになっていて逮捕しない代わりにバカ高い金を要求されるから。
一つは犬に気をつけること。
病気を持っていて気が狂った狂犬病の犬もいるため野良犬には近づかないこと。
一つは絶対に夜には外に出ないこと。
ましてや観光客となれば金品目当てに平気で殺してガンジス川に捨てられて終わり。
そんなことを平然と言われるのだから大袈裟ではなくて日常茶飯事なんだと思い返した。
とはいえまだお昼前後の明るい時間だったのでバナーラシといえばガンジス川。
かの有名な死体を焼く火葬場も見たかったし目の前でガンジス川も見たかったので次に迎えに来る日時だけ確認して再び街へ出た。
大通りにはカラフルな布を纏った人ごみに溢れており、露店や観光客、修行のためオレンジの布を纏った仏教徒やらがずらずらと行き交っていた。
人混みを避けようと裏路地に入ろうにも道に迷うこと間違いなしなので出来るだけ分かりやすい道でガンジス川を目指す。
時折り少し路地裏も通らなければいけないときはそれはそれでさすがインドだなという光景を見ることができた。
捌いた家畜の血のついた骨が積み上げられていたり、放し飼いの犬がいたり、路上で料理するおじさんが居たり。
日本では見ることのない街並みを見て川へ下って行くと1人の少年(小4くらいの男の子)が声をかけてきた。
「ガンジス川に行くんなら道案内してあげるよ」
外国人が物珍しさに近寄って来たんだと思ったワイたちは、これはナイスだと思い目的の火葬場まで案内してもらった。
木で組んだ川のほとりにあるテラスのような場所から下を見ると川のすぐ脇でキャンプファイアの木を組んだようなものが燃えていた。
そこから人の足が2本出ていた。
直焼きである。
布に包んだ亡骸を木枠に乗せて直接焼き、その灰を川に流すという一連の流れである。
ガンジス川では有名な名所で川に沿ってそのような火葬場がいくつもある。
○○ガートと言う名前でガートとは火葬場という意味、○○は場所名だったように記憶している。
(間違ってたらごめんなさい)
火葬場をみて人生観が変わったと本などでは数々紹介されていたがワイ自身はそこまで衝撃は受けなかった。
ここに来るまでにもフィジカルでプリミティブな経験はこれでもかとしてきたからかもしれない。
一通り見てさぁ、行こうかとテラスを出ようとした時さっきの道案内の少年が言った。
「このお婆さんにお金を寄付してあげてよ」
横を見ると座り込んだお婆さんがいた。
話を聞くとそのお婆さんはもう死を待つだけであの火葬場に行くのも時間の問題だ。
ただ、あの火葬場で燃やしてもらうにはお金が必要でそのお金がないから寄付してあげてほしい。
という内容までは良かったのだが、その金額があまりにも高く下心丸見えだったため払わないと言ってその場を立ち去ろうとしたその時だった。
少年が少年たちに増えて(4、5人)竹の棒のようなもので地面を叩き威嚇してきたのである。
お前たちお金を出さないとここからは返さないぞと言わんばかりに突っつこうとしたり、地面を叩いたりやたら敵意剥き出しで威嚇してくる。
ここで振り切って逃げたとしても
迷路のような道をあても無く走ると迷って
危険だしアウェイ過ぎるから、かなりリスキーだと思い渋々お金を渡した途端奴らはまた穏やかな少年の顔に戻っていた。
どうせこの後ばあちゃんからお小遣いをもらってるに決まってる。
生まれて初めて少4にカツアゲされたワイたちは少し申し訳なさそうな先ほどの少年に案内してもらい川のほとりに行ってガンジス川を水辺ギリギリまで近づいて見た。
向こう岸はずっと遠く相当大きな川だと肌身で感じた。
そしてその汚なさはまるでドブ川のようだ。
茶色く濁った水が流れて土砂が混ざったような色をしている。
川縁にカヌー屋さんを見つけたワイたちはせっかくだから川側から陸地をみてガンジス川巡りをしようとなりカヌーに乗って川に出た。
どこまで行っても茶色で濁った水の上を時折り牛の死体や、死んでお腹の中にガスが溜まり風船のように膨らんだ犬の死体が流れて行った。
川の上流では牛の汚物をホースで川に押し流し、その少し下流では修行僧らが川に全身をつけてありがたくお清めしている。
中には口に含みうがいまでしている修行僧もいた。
こんな川に入ると100%おかしな病気になるのは見てとれた。
案の定ガンジス川ふもとの地元民は決して川には入らないという。
時々壁に描かれた巨大な仏像のペイントや等間隔に並べられたクワズイモの植物が印象的な景色だ。
カヌーを降り、次に向かう場所は決めていた。「Kumiko house」だ。
日本人のくみこさんというおばさんがインド人の旦那さんと結婚して営むゲストハウスでガイドブックに載っているほど場所で、何よりまともに日本語ができて信用できる人と話がしたかったのですぐに向かった。
インドに住む人はガリガリか小太りしかいないんじゃないかと思わせるほどくみこさんも小太りなおばさんだった。
インドに来て初めてちゃんと日本語で話せた安堵感と信用できるであろう人に出会えたことで旅の経緯を色々話せた。
そこでくみこさんの口からとても有益な情報を聞けたのだ。
ワイらなんと言っても初日から詐欺にあって所持金がギリギリの旅を送っていたが何とそのお金が返ってくるというのだ。
話はこういう内容だった。
まず、その旅行会社の名前をメモしておき首都にある日本大使館に行く。
そして被害届を出し、日本大使館からその旅行会社に通告をしてお金を返金するように命じるとお金が返ってくるというのだ。
幸い忘れないように要所要所で必要なことを書き留めていた中に旅行会社に関連する名前がいくつか書いてあった。
これは期待できると舞い上がっていたがくみこさんから一つ忠告をうけた。
それは絶対に直接旅行会社には返金要求行くなということだった。
以前同じ手口にあった日本人が事を知って
怒鳴り込みに行った時は体をバラバラにされて殺されたらしい。
恐ろしい話である。
だから国の機関を通して通告することで安全に返金の要求をしろと教えてくれた。
ワイたちはくみこさんにお礼を告げて頂いたチャイを飲み干した。
その後宿に戻り食事をとった。
旅の道中食事はしていたが2日目にはお腹を下し水のような排泄しか出ない状態が続いていたのでパンとマーガリンのみの食事にした。
夜は街には出ずに疲れを癒そうと早めの就寝で翌朝、ガイドと待ち合わせの時間に落ち合い近くにあった飲食店に行った。
次の街への行き先と列車のチケットを受け取り、降りた駅まで車で送ってもらった。
この陽キャガイドはお金をせびったりはしなかったが相変わらず弟は陰キャで口を聞かない。
グッドラックと言い残してガイドは帰って行った。
先の経験から降りる駅の名前をしっかりと聞いて、乗る電車もしっかりと確認して、飛び乗ることもなく悠々と列車に乗った。
向かい合わせ4人掛けの席にワイと幼馴染の2人、乗客も少なく快適な列車の移動だった。
車窓からガンジス川を見ながら何故かインドの旅を攻略しつつあるワイたち自身を清々しく思いながら次の街ブッダガヤへ向けて列車は走って行く。
続く
ジローです!
巨大な建造物に圧倒され、
カオスな街の空気を体で感じ、
ガンジャを探しもとめ、
親切なガイドに金を巻き上げられ、
行き先も分からぬ電車に飛び乗る2人。
向かうは聖なるドブ川ガンジス川で有名なバラーナシ。
果たして旅の行末はいかに…
何とか乗り込んだ列車はみるみるうちに速度を上げ、大きく弧を描き進むにつれて先程の駅が小さくなっていった。
乗ったはいいが座席の張り紙にはワイたちの名前はない。
思い悩んでいても仕方ないのでまずはその席へ向かう事にした。
乗客車両の扉を開けるとそこは人、人、人。
所狭しと座席には人が座っており、通路にも人が行き交い頭上の荷台置きには荷物が積み上がっていた。
キャリーバッグを引きながら人混みを掻き分けて目的の席を目指す。
2人席が向かい合わせになった4人掛けの席には子供も含め5人座っていた。
パッと見た印象ではどうやら家族連れだ。
ワイの席には小太りのおばさんが座っていた。
ムスッとした表情で
「なんだい?アンタら。うちに何か用かい?」
といった表情でこちらを振り向く。
ワイは持っていたチケットを見せておばさんに言った。
「This is my seat!OK?」
おばさん目をつむり首を横に振る。
ワイ「This is my seat!OK?」
おばさん首振る。
ワイ「This is my seat!OK?」
おばさん首振る。
ダメだらちがあかないと思った矢先、周囲にいた取り巻きがなんだなんだと物珍しげに声をかけてくる。
インド人はおせっかいで物珍しいことにはすぐに首を突っ込みたがるクセがあり、何かあればどうしたどうしたとイベント発生のごとく近寄ってくる。
取り巻きにチケットを見せこの席はワイの席だ。
なのになぜ先に人が座っている。
という旨を9割ジェスチャーで伝え取り巻きはチケットと席番号を見比べて頷く。
取り巻き「確かに、ここはお前たちの席だ!」
そうだろそうだろ、ほら分かったら早くチェンジだ的なことをおばさんに9割ジェスチャーで伝えても一向に動く気配がない。
そしておもむろにポケットに手を入れそこから自分のチケットを出してきた。
それを勝ち誇ったような表情でワイの目の前に持ってくるやいなや席番号を指差した。
なんとそこには同じ席番号が表記されていたのだ。
人生このかた初めてダブルブッキングなる言葉を知った。
同じ席をワイたちと別の乗客2組に発券していた。
これならこちらがゴネても座席番号が合っていたのでおばさんが退くはずがない。
マジかと諦めざるを得ない状況を目の当たりにしながら幼馴染と車両と車両の繋ぎ目の渡り廊下へ出た。
キャリーバッグを椅子がわりに腰掛けて手動の乗り口扉の外を見ると随分夜が深くなり辺りは真っ暗だった。
ポツリポツリと時折り民家の灯りが通り過ぎて行く中でこの先10時間もその状態が続くなんてことは考えもしていなかった。
渡り廊下は意外に広く、途中トイレがあり次の車両へと繋がっている。
その渡り廊下には席に座りそびれた人たちが毛布を敷いてその上に座っていた。
日本人が珍しいのかそのうちの1人が話しかけてきた。
※三の巻に載せた写真の右の男性がその人
目逝き「おい、お前たちも座りそびれたのか?この先どこへ行くんだ?」
ワイ「ダブルブッキングでどうしようもない、次はバナーラシへ行くねん」
目逝き「そりゃ傑作だwまぁ気を落とさず楽しもうぜ!どうだ、このオヤツでも食って機嫌なおせよ!」
と怪しい半分熟したようなプルーン的なものを渡された。
何が入っているのかも分からないので流石にその場で捨てることは出来ず口には含むが手で隠してすぐに吐き出した。
味は覚えていないがとても渋かったように思う。
そのあとちょくちょく目逝きの仲間たちも話すようになり、そのうちの1人とタバコを吸おうとなった。
どこで吸うか聞くとトイレで吸えるぞとこっちへ来いよ的な手を振る。
トイレの中にデカデカと
「No smoking」と書いた張り紙がしてある。
大丈夫か?と聞くと「No problem」なんて軽くいうから一応周りを見渡してタバコを吸う。
旅が進むにつれてインド人を本気で信用してはいけないと体で覚えてきた頃であった。
キャリーバッグの上へ座り腕組みをしながら半寝のまま列車に揺られて一晩過ごす。
中にはとても親切なインド人も居た。
何駅か停車する度に人の出入りがあり、その都度ワイたちに荷物は気をつけろ!出て行く客が持ち去ることもあるからちゃんと持っておけと忠告してくれるのだ。
それが列車が停まる度に言って来てくれるのである。
日も明け出した頃客席車両の入ってすぐの両サイドの3人掛けのベンチ席が空いていることに気づいたワイたちはすぐにその席へ移動した。
8時間ぶりの椅子に座りしばらくすると迷彩柄の服を来た軍人が車両へ入って来る。
ここでもテロリスト対策で軍人が見回りしているのだが何とその軍人がワイたちの隣の1席空いているベンチに座った。
[幼馴染、ワイ、軍人]の並び。
軍人の肩にはランボーで出て来そうな黒光りしたマシンガンが掛けられていた。
ガチもんの銃を見たのは後にも先にもインドだけである。
時々チラッとこちらを見ては目を逸らす。
沈黙が続いた後、軍人はどこかへ行った。
そしてその頃からあるもう一つの問題があることに気づいたのだ。
ワイたちどこで降りればいいん?
今どの辺り?バナーラシの手前?もう過ぎた?
列車のチケットはもらったが行き先の駅名なんて書いていない。
急にことの重大さに気づいたワイたちはなりふり構わず乗客に聞いて回った。
ワイ「バナーラシに行きたいけど何駅で降りればいいん?」と9割ジェスチャーで聞いて回ると3人ほどの人がどうしたどうしたと寄ってきた。
事情を説明すると皆んな真剣に教えてくれるのだ。
そう、真剣に。
ただ、3人が3人言ってる駅が全て違うという訳の分からない状態になった。
この辺りがいかにもインドらしいのだ。
しかも親切に「バナーラシ駅」のように分かりやすい駅ならまだしも全て聞いたこともない名前の駅でどうするか悩む。
幸いまだ着いてはいないらしくギリギリまで悩んだ末に、1番頭の良さそうなメガネをかけた大学生の言うことを聞くことにした。
それももう着くぞと到着駅手前の出来事で押し出されるようにワイたちは列車を降りた。
結論から言うとその駅で合っていた。
やっぱり頭の悪そうなオッサンの言うことは信じちゃいけないなとますます体で覚えていた。
そしてそれと同時にほら見たことかと言わんばかりにプラカードを持ったガイドなんてどこにも居ない。
心の免疫が出来てきたワイたちはすぐにタクシーを呼び客の取り合いをしようと集まった5、6人の運転手に法外な値段の交渉をしてそれを渋々受諾したタクシーに飛び乗りバラーナシへ向かった。
少しずつガンジス川なるものが見えてきた。
大きな橋に差し掛かる手前、急にタクシーが路肩へ停まり運転手が降りろと促す。
何があったのか全く理解出来なかったがトランクから荷物を降ろして運転手に話を聞くと何やらお前たちのガイドが今から来る。
だからそっちの車に乗り換えろと言う。
どゆこと?
話の流れが分からずにいると後ろから2人のインド人が車で駆けつけてきた。
そのインド人は漢字で「祭」と赤文字で書かれた水色の半被を着ていた。
やけに陽キャでカタコト日本語でやたらと話しかけてくる。
もう1人は弟らしくこれまた隠キャでボソボソと一言二言話す程度だった。
インドの情報網はどうなってるんだろう。
無線で日本人が2人到着するはずだ、乗せたタクシーの運転手は至急知らせよ的なことが通達されていたのかは分からないがどうやらこの人たちがガイドのようだった。
大きな橋を渡りまずはホテルへ向かう。
鍵を受け取り荷物を置いた後少し街案内をしてくれるみたいでガイドと一緒に街に出た。
ホテルは中心街の少し外れで芝生の広場があるような見晴らしの良い場所だったが中心街は全く違った。
所狭しとひしめく壁続きの民家が続きどこまでも続く裏路地のような道路はまるで迷路そのものだ。
一度迷うと今どこにいるのか、全く分からないほど入り組んでいる。
ガイドに連れられながら一通り見て周り、一度ホテルへ向かう途中この街で気をつけることを忠告された。
一つはガンジャ売りには気をつけること。
警察とグルになっていて逮捕しない代わりにバカ高い金を要求されるから。
一つは犬に気をつけること。
病気を持っていて気が狂った狂犬病の犬もいるため野良犬には近づかないこと。
一つは絶対に夜には外に出ないこと。
ましてや観光客となれば金品目当てに平気で殺してガンジス川に捨てられて終わり。
そんなことを平然と言われるのだから大袈裟ではなくて日常茶飯事なんだと思い返した。
とはいえまだお昼前後の明るい時間だったのでバナーラシといえばガンジス川。
かの有名な死体を焼く火葬場も見たかったし目の前でガンジス川も見たかったので次に迎えに来る日時だけ確認して再び街へ出た。
大通りにはカラフルな布を纏った人ごみに溢れており、露店や観光客、修行のためオレンジの布を纏った仏教徒やらがずらずらと行き交っていた。
人混みを避けようと裏路地に入ろうにも道に迷うこと間違いなしなので出来るだけ分かりやすい道でガンジス川を目指す。
時折り少し路地裏も通らなければいけないときはそれはそれでさすがインドだなという光景を見ることができた。
捌いた家畜の血のついた骨が積み上げられていたり、放し飼いの犬がいたり、路上で料理するおじさんが居たり。
日本では見ることのない街並みを見て川へ下って行くと1人の少年(小4くらいの男の子)が声をかけてきた。
「ガンジス川に行くんなら道案内してあげるよ」
外国人が物珍しさに近寄って来たんだと思ったワイたちは、これはナイスだと思い目的の火葬場まで案内してもらった。
木で組んだ川のほとりにあるテラスのような場所から下を見ると川のすぐ脇でキャンプファイアの木を組んだようなものが燃えていた。
そこから人の足が2本出ていた。
直焼きである。
布に包んだ亡骸を木枠に乗せて直接焼き、その灰を川に流すという一連の流れである。
ガンジス川では有名な名所で川に沿ってそのような火葬場がいくつもある。
○○ガートと言う名前でガートとは火葬場という意味、○○は場所名だったように記憶している。
(間違ってたらごめんなさい)
火葬場をみて人生観が変わったと本などでは数々紹介されていたがワイ自身はそこまで衝撃は受けなかった。
ここに来るまでにもフィジカルでプリミティブな経験はこれでもかとしてきたからかもしれない。
一通り見てさぁ、行こうかとテラスを出ようとした時さっきの道案内の少年が言った。
「このお婆さんにお金を寄付してあげてよ」
横を見ると座り込んだお婆さんがいた。
話を聞くとそのお婆さんはもう死を待つだけであの火葬場に行くのも時間の問題だ。
ただ、あの火葬場で燃やしてもらうにはお金が必要でそのお金がないから寄付してあげてほしい。
という内容までは良かったのだが、その金額があまりにも高く下心丸見えだったため払わないと言ってその場を立ち去ろうとしたその時だった。
少年が少年たちに増えて(4、5人)竹の棒のようなもので地面を叩き威嚇してきたのである。
お前たちお金を出さないとここからは返さないぞと言わんばかりに突っつこうとしたり、地面を叩いたりやたら敵意剥き出しで威嚇してくる。
ここで振り切って逃げたとしても
迷路のような道をあても無く走ると迷って
危険だしアウェイ過ぎるから、かなりリスキーだと思い渋々お金を渡した途端奴らはまた穏やかな少年の顔に戻っていた。
どうせこの後ばあちゃんからお小遣いをもらってるに決まってる。
生まれて初めて少4にカツアゲされたワイたちは少し申し訳なさそうな先ほどの少年に案内してもらい川のほとりに行ってガンジス川を水辺ギリギリまで近づいて見た。
向こう岸はずっと遠く相当大きな川だと肌身で感じた。
そしてその汚なさはまるでドブ川のようだ。
茶色く濁った水が流れて土砂が混ざったような色をしている。
川縁にカヌー屋さんを見つけたワイたちはせっかくだから川側から陸地をみてガンジス川巡りをしようとなりカヌーに乗って川に出た。
どこまで行っても茶色で濁った水の上を時折り牛の死体や、死んでお腹の中にガスが溜まり風船のように膨らんだ犬の死体が流れて行った。
川の上流では牛の汚物をホースで川に押し流し、その少し下流では修行僧らが川に全身をつけてありがたくお清めしている。
中には口に含みうがいまでしている修行僧もいた。
こんな川に入ると100%おかしな病気になるのは見てとれた。
案の定ガンジス川ふもとの地元民は決して川には入らないという。
時々壁に描かれた巨大な仏像のペイントや等間隔に並べられたクワズイモの植物が印象的な景色だ。
カヌーを降り、次に向かう場所は決めていた。「Kumiko house」だ。
日本人のくみこさんというおばさんがインド人の旦那さんと結婚して営むゲストハウスでガイドブックに載っているほど場所で、何よりまともに日本語ができて信用できる人と話がしたかったのですぐに向かった。
インドに住む人はガリガリか小太りしかいないんじゃないかと思わせるほどくみこさんも小太りなおばさんだった。
インドに来て初めてちゃんと日本語で話せた安堵感と信用できるであろう人に出会えたことで旅の経緯を色々話せた。
そこでくみこさんの口からとても有益な情報を聞けたのだ。
ワイらなんと言っても初日から詐欺にあって所持金がギリギリの旅を送っていたが何とそのお金が返ってくるというのだ。
話はこういう内容だった。
まず、その旅行会社の名前をメモしておき首都にある日本大使館に行く。
そして被害届を出し、日本大使館からその旅行会社に通告をしてお金を返金するように命じるとお金が返ってくるというのだ。
幸い忘れないように要所要所で必要なことを書き留めていた中に旅行会社に関連する名前がいくつか書いてあった。
これは期待できると舞い上がっていたがくみこさんから一つ忠告をうけた。
それは絶対に直接旅行会社には返金要求行くなということだった。
以前同じ手口にあった日本人が事を知って
怒鳴り込みに行った時は体をバラバラにされて殺されたらしい。
恐ろしい話である。
だから国の機関を通して通告することで安全に返金の要求をしろと教えてくれた。
ワイたちはくみこさんにお礼を告げて頂いたチャイを飲み干した。
その後宿に戻り食事をとった。
旅の道中食事はしていたが2日目にはお腹を下し水のような排泄しか出ない状態が続いていたのでパンとマーガリンのみの食事にした。
夜は街には出ずに疲れを癒そうと早めの就寝で翌朝、ガイドと待ち合わせの時間に落ち合い近くにあった飲食店に行った。
次の街への行き先と列車のチケットを受け取り、降りた駅まで車で送ってもらった。
この陽キャガイドはお金をせびったりはしなかったが相変わらず弟は陰キャで口を聞かない。
グッドラックと言い残してガイドは帰って行った。
先の経験から降りる駅の名前をしっかりと聞いて、乗る電車もしっかりと確認して、飛び乗ることもなく悠々と列車に乗った。
向かい合わせ4人掛けの席にワイと幼馴染の2人、乗客も少なく快適な列車の移動だった。
車窓からガンジス川を見ながら何故かインドの旅を攻略しつつあるワイたち自身を清々しく思いながら次の街ブッダガヤへ向けて列車は走って行く。
続く
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