4/14 04:06 UP! 出勤5日目〜非日常への誘い(後編)〜 NAGARU(ナガル)(29)
「あの、それは………」
「存じ上げてございます。失礼ですが、お客様はご自身をあまり大事に思っていらっしゃらないようですね? 嫌なことがあっても、わたしが悪い、わたしが我慢すれば良いのだ、そうお考えになっていらっしゃいます」
「いえ、それは………」
「存じ上げてございます。それはお客様の本心じゃない。ご自身を嫌い、我慢しているお客様はいわば仮の姿。本当はそんな理不尽に耐えているご自身が愛おしくてたまらないのではありませんか?」
「………そうかもしれません」
コンシェルジュはOLを見つめてにこりと微笑んだ。
「貴女は気高い志をお持ちだ。しかし、時折耐え難い瞬間が訪れる。周囲に気を配ってばかりで、ご自身の本心を偽っていては、百年の自己愛も冷めてしまうというもの。これは、そんなお客様の愛に寄り添うための機械なのでございます」
女は自分の本心を見透かされているような心地がして、背筋がぞくりと震えた。どんな理不尽な目にあっても、心がすり減っても、ここに来れば自分の望むものが手に入る。指先はひとりでに財布の中のクレジットカードへと伸びていた。
「―――えっ?」
カードが限度額に達していることを示すエラーコードを慣れた手つきで消去すると、コンシェルジュは再びにこやかな表情でOLを見つめた。
「当店のリボ払いのシステムはご存知ですか?」
「普通とは違うんですか?」
「左様でございます。お客様のお身体のうち、一本として数えられるものをお代金として頂戴いたします」
「1本?」
「ええ」
「なんでも構いませんか?」
「もちろん」
「髪の毛でも?」
「結構でございます」
女は考えた。人の髪の毛はおよそ10万本生えているらしい。とはいえ女の命である髪だ、8割は残したいと思った。それでもリボ払いはあと2万回行える計算だった。
―――いや、もうよそう。
髪は女の命だ。
どんな機械なのかもわからないのに、あまりに早計すぎる。
「私、弱い人間なんです」
内面を吐露すると、少し心が楽になるような気がした。
「確かに私はやりがいのない、代わりが毎年何人も見つかるようなありきたりの仕事しかできません。でも、喜んでくれる人も居るんです。恥ずかしい思いをしたり、世界を呪いたいと思うことがあっても、それでよかったと思える瞬間はあるんです」
「左様でございますか」
コンシェルジュは微笑んだ目でOLを見つめた。
女は一礼して踵を返す。パンプスがタイル張りの床を弾いてこつんこつんと音を立てる。
羞恥に打ち勝つ瞬間は高揚感に満ちている。たとえそこに本心が含まれていなかったとしても。
女は背中越しに自分の内面を隠すようにして考えた。
週に、いや月に1回ならまたここに来ても構わないだろうか。
そうだ、差し出すのは別に髪に限ったことではない。恥じらいは、この際捨てよう。
東京で生きるとは、そういうことなのだ。弱い私が、それでもひとりでも生きていくということは―――
コンシェルジュの脇にはもうひとりの男が立っていた。
「売れたかね」
「いえ」
「まだ髪があると思っていたね」
「まったく」
ふたりの視線の先で、服を着たOとLがぎこちなく自動ドアの向こうへと消えていった。
※この物語はフィクションです。
「存じ上げてございます。失礼ですが、お客様はご自身をあまり大事に思っていらっしゃらないようですね? 嫌なことがあっても、わたしが悪い、わたしが我慢すれば良いのだ、そうお考えになっていらっしゃいます」
「いえ、それは………」
「存じ上げてございます。それはお客様の本心じゃない。ご自身を嫌い、我慢しているお客様はいわば仮の姿。本当はそんな理不尽に耐えているご自身が愛おしくてたまらないのではありませんか?」
「………そうかもしれません」
コンシェルジュはOLを見つめてにこりと微笑んだ。
「貴女は気高い志をお持ちだ。しかし、時折耐え難い瞬間が訪れる。周囲に気を配ってばかりで、ご自身の本心を偽っていては、百年の自己愛も冷めてしまうというもの。これは、そんなお客様の愛に寄り添うための機械なのでございます」
女は自分の本心を見透かされているような心地がして、背筋がぞくりと震えた。どんな理不尽な目にあっても、心がすり減っても、ここに来れば自分の望むものが手に入る。指先はひとりでに財布の中のクレジットカードへと伸びていた。
「―――えっ?」
カードが限度額に達していることを示すエラーコードを慣れた手つきで消去すると、コンシェルジュは再びにこやかな表情でOLを見つめた。
「当店のリボ払いのシステムはご存知ですか?」
「普通とは違うんですか?」
「左様でございます。お客様のお身体のうち、一本として数えられるものをお代金として頂戴いたします」
「1本?」
「ええ」
「なんでも構いませんか?」
「もちろん」
「髪の毛でも?」
「結構でございます」
女は考えた。人の髪の毛はおよそ10万本生えているらしい。とはいえ女の命である髪だ、8割は残したいと思った。それでもリボ払いはあと2万回行える計算だった。
―――いや、もうよそう。
髪は女の命だ。
どんな機械なのかもわからないのに、あまりに早計すぎる。
「私、弱い人間なんです」
内面を吐露すると、少し心が楽になるような気がした。
「確かに私はやりがいのない、代わりが毎年何人も見つかるようなありきたりの仕事しかできません。でも、喜んでくれる人も居るんです。恥ずかしい思いをしたり、世界を呪いたいと思うことがあっても、それでよかったと思える瞬間はあるんです」
「左様でございますか」
コンシェルジュは微笑んだ目でOLを見つめた。
女は一礼して踵を返す。パンプスがタイル張りの床を弾いてこつんこつんと音を立てる。
羞恥に打ち勝つ瞬間は高揚感に満ちている。たとえそこに本心が含まれていなかったとしても。
女は背中越しに自分の内面を隠すようにして考えた。
週に、いや月に1回ならまたここに来ても構わないだろうか。
そうだ、差し出すのは別に髪に限ったことではない。恥じらいは、この際捨てよう。
東京で生きるとは、そういうことなのだ。弱い私が、それでもひとりでも生きていくということは―――
コンシェルジュの脇にはもうひとりの男が立っていた。
「売れたかね」
「いえ」
「まだ髪があると思っていたね」
「まったく」
ふたりの視線の先で、服を着たOとLがぎこちなく自動ドアの向こうへと消えていった。
※この物語はフィクションです。
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