12/22 22:13 UP!
インド旅行記二の巻【インドは甘くはなかった】
見に来てくれてありがとうございます
ジローです!
いよいよ旅の始まりです
日本を出たのは早朝のフライトでした
秋の10月中頃、関空からインドのニューデリーへ向けて意気揚々と飛び立っていきましたね
バンコク経由でエアインディアに乗り換え
(国際線乗り継ぎなんてハードル高すぎたから日本語話せるCAさんにとことん付き添ってもらったのはマジで感謝)
インドの上空に差し掛かった頃には真夜中の時間、
飛行機から見る夜空の星の多さと真っ暗な地面に群がる光の集合体から
スーっと伸びた高速道路の1本の長い光の線が隣町の光の集合体に伸びてて、
また1本の光の線が次の隣町の光の集合体に繋がってる景色は印象的でした。
無事着陸した飛行機から荷物を取りに行ったのですが中々出て来ず、その後無事受け取ってから出国審査で全て英語表記の調査書書く段階でこちらの回答全く通じず
結局空港出るだけで数時間かかるくらいの難易度の高さでした。
現地時間で真夜中の0時くらいだったでしょうか。
空港からニューデリーの街までは車で45分ほどの距離なのでタクシーをつかまえてニューデリーの街まで向かいます。
先に言っておきますね。
僕たちインドに行く際の準備は航空券の往復チケットのみで出発してます。
宿泊先の予約?
もちろんしてません笑
街に着いてから探そうね〜♪
そうだね〜
くらい悠長に構えていたのですが、
そもそも深夜に着くなんてことも全く考えてませんでした。
完全アウェイな土地勘0
辺りは暗すぎて宿なのか何屋さんなのか検討もつかないような建物ばかり。
街へ向かう途中、タクシーの運転手はカタコトニホンゴで
「キョウトマルトコロアリマスカ?」と質問してきました。
「地球の歩き方(インド)」が頼みの綱なワイたちは宿一覧のページを運転手に見せてジェスチャーでここに行ってくれと伝えて宿らしき建物までは何とかたどり着けました。
ここでタクシーの運転手が気を利かしたのか
「ヤドガアイテルカキイテキテアゲルヨ。
チョトマッテテ。」
と言い宿の中へ走っていきました。
しばらくして戻ってくると首を横に振り
「コノヤドダメネ、イマチョウドマチデオマツリシテルカラコノヤドマンシツネ」
と言われたのでじゃあこの宿はどうかと別の宿に案内してもらうとまたさっきのくだりで聞きに行く→お祭りで満室→別の宿提案→聞きに行く→お祭りで満室
が4回ほど続いたころ、流石のワイらもおかしいなと感じ始めて持ってた現金を靴下の中に隠し出した頃でした。
運転手から知り合いに観光案内の仕事してる人が居るからそこで宿探せばいいよ!
連れてってやるよ!的な提案が出た頃
あー、これは完全にアカンやつやん!
地球の歩き方に書いてた観光客が遭う被害リストのトップ3に入る安宿ないから法外の値段のホテル泊まらせるやつやん。
なんて気づいた頃にはタクシーはプレハブを改造して強引にお店にしたような観光案内所の前にいました。
その時点で深夜の2時だったように記憶してます。
なんたってその時間いかに都心だろうと真っ暗でどこが宿かも分からず変に街を彷徨い歩くのも危険な香りしかしないような土地でタクシーの運転手の言うがままでしかこちとら危なっかしいったらありゃしないような状況です。
プレハブに入ると中には3人ほどのインド人
カウンターに横の棚にはガイドブックらしき本が5,6冊並べられており、目の前にドンと受話器が置かれました。
その店主のインド人から一言
「ヤドガアイテルカデンワデカクニンスルトイイネ」
と促され地球の歩き方に紹介されている宿の番号にかけるやいなや
「キョウハオマツリデマンシツデス」
の宿ばかり
それもそのはず電話の回線はどこへかけても全て身内の同じところにしか繋がらない電話なので諦めさせるような見え見えの手口でした。
替わりに1泊3万円以上もする宿を紹介してくるなど模範解答すぎるくらい模範解答な状況にあっけに取られながらも何とかしないとと思い咄嗟に交渉に入ったのは動物的な危機回避能力だなと我ながら惚れ惚れしますよね。
店主「インドには何日間いるネ?」
ワイ「10日間」
店主「じゃあ10日間ツアーもあるからそれ組むとヨロシ」
ワイ「えっ、そのツアーいくら?」
店主「4万ルピーネ」
※当時のレートで1ルピー4円だったと思う
ワイ「16万かぁ、そんなに金無いなぁ」
店主「いくら持ってるネ?」
ワイ「9万」
インド人同士でヒンドゥー語でボソボソ相談
(インド人って人に聞かれたらまずいこと話す時は英語でもなくヒンドゥー語で話すの分かりやすすぎて草)
店主「分かたネ、じゃあ9万5千円ネ」
ワイ「いや、だから9万しか無いしそもそもここで所持金全部払ったら10日分の食事代とか無くなるから払えんし」
と主張
※地球の歩き方で書いてたのですがインド人は割と合理的な考え方には弱く、筋の通った意見を言われるとタジタジするのでそこが弱点だ!的なのを見ていたのでそのまま応用
インド人同士相談ヒソヒソ
店主「分かたネ、19,000ルピー(約75,000円)で手うつネ」
ワイ「いや、高い、16,000ルピー(約65,000円で即決するわ」
と強気の発言のわい
この辺りで少しインド人の取り扱い方が分かってきて気持ちに余裕が出てたこともあり交渉も割と冷静にしていました。
店主「分かたネ、それでよろしヨ」
と交渉成立
振り返ると入り口には2人のインド人がガッツリと出口を塞いでいて張り切って逃げようもんなら何をされていたかも分からない状況だったがこちとら交渉に必死で自分たちが置かれている状況を理解したのはプレハブを出てからでした。
店主「じゃ、車用意してるから出発ネ」
ワイ「えっ、どゆこと?」
何とお金を払った後すぐにツアーが始まるからこの車に乗れと促されたのは良いんですが現在深夜4時とかそんくらい。
途中殺されて道端に捨てられやしないかなんて普通考えるんですが行きの道中からクタクタで促されるまま車に乗りツアー最初の行き先「アーグラー」まで出発したのでした。
真夜中のインドのハイウェイ(下道)はただただ周りに荒野が広がって時々土壁を固めただけのような建物がちらほら
野良犬が時々歩いていてすれ違うトラックはデコトラをさらに賑やかにしたオモチャをそのまま大きくしたようなトラックに対して雑な作りやなぁって思ったのを覚えてます。
運転手が一度脇道に車を停めた時は警戒しましたがただの野外トイレでした。
お前たちも済ませるか?的なことを言ってきたのでワイたちも野外トイレしながら
あー、このまま車だけ立ち去ったらどうしようとかインドで初の立ちションやぁとか虚な頭でボ〜っとしながら用を足し終わりまた車に戻っていきます。
再び動き出した車に揺られてあまり深くは無い睡魔に襲われてわいたちは気づかぬうちに眠っていました。
続く
ジローです!
いよいよ旅の始まりです
日本を出たのは早朝のフライトでした
秋の10月中頃、関空からインドのニューデリーへ向けて意気揚々と飛び立っていきましたね
バンコク経由でエアインディアに乗り換え
(国際線乗り継ぎなんてハードル高すぎたから日本語話せるCAさんにとことん付き添ってもらったのはマジで感謝)
インドの上空に差し掛かった頃には真夜中の時間、
飛行機から見る夜空の星の多さと真っ暗な地面に群がる光の集合体から
スーっと伸びた高速道路の1本の長い光の線が隣町の光の集合体に伸びてて、
また1本の光の線が次の隣町の光の集合体に繋がってる景色は印象的でした。
無事着陸した飛行機から荷物を取りに行ったのですが中々出て来ず、その後無事受け取ってから出国審査で全て英語表記の調査書書く段階でこちらの回答全く通じず
結局空港出るだけで数時間かかるくらいの難易度の高さでした。
現地時間で真夜中の0時くらいだったでしょうか。
空港からニューデリーの街までは車で45分ほどの距離なのでタクシーをつかまえてニューデリーの街まで向かいます。
先に言っておきますね。
僕たちインドに行く際の準備は航空券の往復チケットのみで出発してます。
宿泊先の予約?
もちろんしてません笑
街に着いてから探そうね〜♪
そうだね〜
くらい悠長に構えていたのですが、
そもそも深夜に着くなんてことも全く考えてませんでした。
完全アウェイな土地勘0
辺りは暗すぎて宿なのか何屋さんなのか検討もつかないような建物ばかり。
街へ向かう途中、タクシーの運転手はカタコトニホンゴで
「キョウトマルトコロアリマスカ?」と質問してきました。
「地球の歩き方(インド)」が頼みの綱なワイたちは宿一覧のページを運転手に見せてジェスチャーでここに行ってくれと伝えて宿らしき建物までは何とかたどり着けました。
ここでタクシーの運転手が気を利かしたのか
「ヤドガアイテルカキイテキテアゲルヨ。
チョトマッテテ。」
と言い宿の中へ走っていきました。
しばらくして戻ってくると首を横に振り
「コノヤドダメネ、イマチョウドマチデオマツリシテルカラコノヤドマンシツネ」
と言われたのでじゃあこの宿はどうかと別の宿に案内してもらうとまたさっきのくだりで聞きに行く→お祭りで満室→別の宿提案→聞きに行く→お祭りで満室
が4回ほど続いたころ、流石のワイらもおかしいなと感じ始めて持ってた現金を靴下の中に隠し出した頃でした。
運転手から知り合いに観光案内の仕事してる人が居るからそこで宿探せばいいよ!
連れてってやるよ!的な提案が出た頃
あー、これは完全にアカンやつやん!
地球の歩き方に書いてた観光客が遭う被害リストのトップ3に入る安宿ないから法外の値段のホテル泊まらせるやつやん。
なんて気づいた頃にはタクシーはプレハブを改造して強引にお店にしたような観光案内所の前にいました。
その時点で深夜の2時だったように記憶してます。
なんたってその時間いかに都心だろうと真っ暗でどこが宿かも分からず変に街を彷徨い歩くのも危険な香りしかしないような土地でタクシーの運転手の言うがままでしかこちとら危なっかしいったらありゃしないような状況です。
プレハブに入ると中には3人ほどのインド人
カウンターに横の棚にはガイドブックらしき本が5,6冊並べられており、目の前にドンと受話器が置かれました。
その店主のインド人から一言
「ヤドガアイテルカデンワデカクニンスルトイイネ」
と促され地球の歩き方に紹介されている宿の番号にかけるやいなや
「キョウハオマツリデマンシツデス」
の宿ばかり
それもそのはず電話の回線はどこへかけても全て身内の同じところにしか繋がらない電話なので諦めさせるような見え見えの手口でした。
替わりに1泊3万円以上もする宿を紹介してくるなど模範解答すぎるくらい模範解答な状況にあっけに取られながらも何とかしないとと思い咄嗟に交渉に入ったのは動物的な危機回避能力だなと我ながら惚れ惚れしますよね。
店主「インドには何日間いるネ?」
ワイ「10日間」
店主「じゃあ10日間ツアーもあるからそれ組むとヨロシ」
ワイ「えっ、そのツアーいくら?」
店主「4万ルピーネ」
※当時のレートで1ルピー4円だったと思う
ワイ「16万かぁ、そんなに金無いなぁ」
店主「いくら持ってるネ?」
ワイ「9万」
インド人同士でヒンドゥー語でボソボソ相談
(インド人って人に聞かれたらまずいこと話す時は英語でもなくヒンドゥー語で話すの分かりやすすぎて草)
店主「分かたネ、じゃあ9万5千円ネ」
ワイ「いや、だから9万しか無いしそもそもここで所持金全部払ったら10日分の食事代とか無くなるから払えんし」
と主張
※地球の歩き方で書いてたのですがインド人は割と合理的な考え方には弱く、筋の通った意見を言われるとタジタジするのでそこが弱点だ!的なのを見ていたのでそのまま応用
インド人同士相談ヒソヒソ
店主「分かたネ、19,000ルピー(約75,000円)で手うつネ」
ワイ「いや、高い、16,000ルピー(約65,000円で即決するわ」
と強気の発言のわい
この辺りで少しインド人の取り扱い方が分かってきて気持ちに余裕が出てたこともあり交渉も割と冷静にしていました。
店主「分かたネ、それでよろしヨ」
と交渉成立
振り返ると入り口には2人のインド人がガッツリと出口を塞いでいて張り切って逃げようもんなら何をされていたかも分からない状況だったがこちとら交渉に必死で自分たちが置かれている状況を理解したのはプレハブを出てからでした。
店主「じゃ、車用意してるから出発ネ」
ワイ「えっ、どゆこと?」
何とお金を払った後すぐにツアーが始まるからこの車に乗れと促されたのは良いんですが現在深夜4時とかそんくらい。
途中殺されて道端に捨てられやしないかなんて普通考えるんですが行きの道中からクタクタで促されるまま車に乗りツアー最初の行き先「アーグラー」まで出発したのでした。
真夜中のインドのハイウェイ(下道)はただただ周りに荒野が広がって時々土壁を固めただけのような建物がちらほら
野良犬が時々歩いていてすれ違うトラックはデコトラをさらに賑やかにしたオモチャをそのまま大きくしたようなトラックに対して雑な作りやなぁって思ったのを覚えてます。
運転手が一度脇道に車を停めた時は警戒しましたがただの野外トイレでした。
お前たちも済ませるか?的なことを言ってきたのでワイたちも野外トイレしながら
あー、このまま車だけ立ち去ったらどうしようとかインドで初の立ちションやぁとか虚な頭でボ〜っとしながら用を足し終わりまた車に戻っていきます。
再び動き出した車に揺られてあまり深くは無い睡魔に襲われてわいたちは気づかぬうちに眠っていました。
続く