女性専用風俗 水戸秘密基地 (出張専門) | 「ファンマ不足の憂鬱」

MITSUKUNI(ミツクニ) 「ファンマ不足の憂鬱」
本で読んだ知識、有効期限極小か一生かのどっちかなりがち。

はいどうも、
水戸秘密基地よりやってまいりました。
光圀です。

「水戸秘密基地よりやってまいりました!!」とか言いいつつ、
セラピストらしいことはツイートしかしていません。
光圀です。 (´・ω・`)ショボーン
(光圀豆知識:帰国まで50日とちょっと)

ファンマの"ファンタジー"が本来の意味の"ファンタジー"になりつつある、
今日この頃でございます。(クンニの概念化 lol ) 

で、

今回なんですけれども、
客観的な性と、主体的な性について論を展開するウウウ!

突然すぎる。
晩夏のコンビニおでん並の突然の登場。
あいつら初見で見る時絶対おでんの季節じゃない。
僕は大根が好きで、小さな畑に生えてる分くらいは余裕だ。


いきなりどうした光圀よ。
缶詰続きの研究生活で頭がおかしくなっちゃったのか??

ノンノンノン。

タマにはこういったジーマーメーな記事を書いておかないと
僕がただのクニラーだと思われかねない。
だから、現役理系院生としてのこの考察にまみれた日記を残しておきたいと思ったわけだ。:D

近頃の悩みに、エロの供給不足がある。深刻な問題だ。
セラピストとしてファンマ時間が減ってきている...
減ってるとかじゃなくて、無い。

これはつまり、
"エロ摂取機会の著しい減少"
→"エロ減少によるエロ力の低下"
→"エロ力低下によるセラピスト力の低下"
→"予約が来なく死ぬorz"
となり、僕の生命線すら危ぶまれる状況なのである!!!

目前の死期。悩んだ光圀。そして悟った。
最後に信じられるのはいつだって人類の叡智。
人類の叡智といえば本。

「そうだ!エロい記事からエロを吸収しよう!」
 (N論法の末の飛躍,,,段の意味よ...)


「文章」を読むこと。
限界の成人男性の考えることなんてこんなものである。
偉い人曰く、「文を読むというのは人の歴史を知ること」だそうだ。

そうであれば、僕も文章から人の性体験を蓄積し
エロの知識をスーパーパワーアップして帰国できる!
そして、クンニで世界を平和にすることができる!
と思った。

そんなことで始めた、
エロい書物の読み込み。

僕は理系だし、長い文章読むの基本的に苦手なんですが。
(人生に読んだ小説の数を数えられるレベル)

始めて見るとおもしろいもの。

さすがエロ。
ディグレばディグるほどおもしろいのは音楽と似ている。
(俺の記事セレクトで股間がエレクト!)状態である。

例として、最近読んで面白かったのは
・日本最北端のラブホ
・金だけがちんぽを武装する
・性癖は趣味に出る
このあたり。おもれぇ。

世界にはおもろいエロい記事が溢れている。
TikTokやインスタのおすすめで出出るインスタントなエロより質が高い。(体感)
脳を使ってエロを反芻するの、おもしろい。

性表現は人それぞれが味があるから
いい感じの世界観の文章を見つけると同じ主の文章にハマりがち。
(好みの中華料理屋のメニュー全部好きな感覚と似てる。)

そしてある日見つけた。おもれぇ記事。
50迎えてグラビアを始めた女性の記事。
目を疑った。50!?!?!?

グラビアなんて20代のなんなら10代の特権と思っていたが
年齢とか若さに付随する魅力ではなく、自分の肌に重ねた年月経験を
自己表現の世界として成立させている女性がいて驚いた。
弱さや被加虐性が強調される、オトコが好きそうなグラビアとは一線を表現。
市川猿之助とかみたら泡吹いて失神するんじゃないかな。知らんけど。

前置きが長くなった。
(構成がド下手)

今回は其の方の性の表現形態に関する記事に関して。

そこにおいて、性表現は
客観的な表現と主体的な表現がある
とのことだった。

光圀「確かにそうだなぁ....」
って思いまして...

というわけで雑な導入ではありますが
(構成がド下手)(n回目)

今回はそんな、
性表現の二面性に対する僕の思いについて。

はい、ではまず。
客観的な性と主体的な性のそれぞれの特徴等について、

客観的な性表現は、端的に言うと誰かのために表現する性
この定義に沿って考えていくと
多くのセラピストの運用方針というか、活動方針が
客観的な性ということになるんじゃないかと思っております。

"誰かを癒やしたい"というモチベーションで始めるセラピストの場合、

彼らの
"自分が誰かを癒やしたい”というのは
”自分が誰かを癒やすために働く”ということになるので、
癒したいという主体的モチベーションが転じて客観的な性表現につながっていると思います。
(むしろ客観が最初にあって虚構の主観を作り出しているまである。)

つまり、多くのセラピストは客観的な性表現のもとに働いていると言っていい。

そして、客観的な消費表現の姿勢をすると
1.セラピストが性表現をする
2.お客様が性を体験し、満足を得る
3.セラピストが満足する

といういう流れが、自然な流れになると思う。

つまり、
セラピストという存在はお客様なしには存在することができない。
言い換えると、お客様なしの1人では何もできない。

ゆえに、客観的な性表現の結果、生まれてしまうのは
他人の不介在が発生した時の脆弱性である。
「もし、1人になったら活動目的を見失ってしまうかもしれないよ」ってことである。

あら、ちょっと危険だな。
そんなことをぼんやりと思った僕である。

というのも。セラピスト、この誰かのための誰かを見つけるのめっちゃむずいんスよ。()

対して、主体的な性表現というのは
自分がやりたいと思った性表現を自分で決めて自分でやるって言う表現。
個人的に、この考え結構いいなぁと思っている。

自分の中ではこの主観的な性というのがしっくりきている。
やはり、自分がやりたいことをやる中で
誰かにとってその仕事が役に立つと言う状態

仕事をやる上ですごい健全な状態だと思う。

「それは理想論すぎる」とか
「そんなうまくはいかないよーっ」
と思うかもしれない。


しかし、自分がやりたいことをやるかどうかというのは
自分でしか見つけられないこと


そこでやりたいことを誰かに決められちゃうってなると。
ちと面白みにかける状態になりえるのでは...と少しの恐れを感じました。

もちろん、誰かのために仕事するってすごい素敵なことだし。
他者貢献ってそもそもすごい良いこととは思う。

けれども、それだけだとキツイ。
し、自分には合わない。

うん。

やはり、この業界というのは
お客様に対していろいろなサービスを提供していくところではある。
それが自分の納得のいく行動かは、
自分の中で問い正してやっていきたいって言う所である。

自分が望まないことを
「お客様の声だから!」と何でもやってしまう
のは
いつの日か自分の中でしこりになってしまうと思うし、
お客様にもある種嘘をついてしまうから双方幸せにならないのではないかと。
(昨今のゴキブリ発言しかり)

自分らしい表現をしていきたい。
正直な目線で向き合っていきたい。

ではでは

水戸秘密基地より、
光圀でした。

またどこかで。


p.s.
マキエマキ氏みたいなエロさを出せる大人になりてぇなぁ。


あとがき??(ボツ段落)

とはいえ、セラピストという仕事は
お客様に会わないと仕事が始まらない仕事。
結局、自分たちが仕事する時点で
お客様と言うその必然の客観部を意識しながらでないと始められない仕事なので
客観的な表現はどうしても捨て切れない部分ではある。

完全に主体的な性というのは難しいのかもしれない。

ところで、僕らの職業は、
ある程度、容姿なり若さを切り売りしている職業だと思う。
(ブサイク、おじさんはどうしても売れない傾向がある)

しかし、容姿と若さというのは
結局、歳を重ねればなくなってしまうしまうものだ。

正直言ったら不安定。
僕らの仕事はこうした不安定なものの上に成り立っている。

不安定なものを上に成り立っているからこそ、
自分の軸を強く持っていないと
自立した個を生み出すことは出来ない。

沼に棒を立てるならば
太くて大きい杭を持ってくる必要があるだろう。
そこで必要になるのが自分ベースの主体的な表現だ。

自分というのは
自分がある限りなくならない存在。
すごい安定したというか
常にここにある存在として
客観的な誰かと比べようがない基盤
になっている。

でも、主体的な表現にも危険性はあって、
誰からどんな辛い言葉だったり、心無い批判が投げかけられようと、
自分が自分でやりたいことを続けねばならない
ということ。
だから、ある意味主体的な表現は常に孤独な挑戦である。

主体的な表現はやりたい。
でも、100%主体的な表現はサービス業ではムズい。
完全ではなくてグラデーションをもってできたら良いんじゃないか。
0or1で考えるんじゃなくて0~100で。

そんな感じでこれからも
自分の信じるセラピスト道を追求していきたいです。

話がまとまらない感じになったんですが
言いたいこととしては、
自分は
主体的な性表現で、
もっとクンニがしたいって言う話でした。

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