12/30 22:58 UP! インド旅行記六の巻【インドより愛を込めて】 JIRO(ジロウ)(35)
見に来てくれてありがとうございます
ジローです!
インド旅行もとうとう最後の街へ向かう列車の中。
行く先々で待ち受ける困難しかない道中で人と出会い、出来事と出会い、見知らぬ土地でその街の風土に圧倒されつつもインドという国でなんとか生きながらえて来た。
最後の街ニューデリーでの滞在はどんな出来事が待っているのか…
明け方4時過ぎの、うっすらと日が昇り始めた頃、車内の慌ただしい掛け声と共に目が覚めた。
「チャイ、チャイ、チャイ、チャイ」
「チャイ屋、チャイ屋、チャイ屋」
車内でチャイ売りのオヤジ2人が甲高い声と低い声で乗客1人1人にチャイを売って回っている。
幼馴染は目の前まで顔を近づけられ、
「チャイ屋」
の一言で飛び起きていた。
せっかくなのでと1杯のチャイをもらう。
まだ到着までしばらくありそうだが寝ぼけ眼で寝台の上へ座ってボーッとしていた。
最後の街でいかに過ごそうか。
残金の少なさに最後の空港までのタクシー代と食事代が何とか捻出できるか、もしくは1食くらいは我慢しないといけないくらいのギリギリな状態だった。
朝の強い日が照りつける中列車はニューデリーに着いた。
都心であるニューデリーは流石に行き交う人の量と物売りの商人で溢れかえっていた。
道ゆく人に背中いっぱいに背負ったお土産のようなものを売ろうとそこら中から寄って話しかけてくる。
今までの旅の経験からここまで来るとあしらい方を心得ており、こちらとて買うつもりは一切ない。
断るにしてもNOと言っても粘ってくることも承知していたのでまず値段を聞く。
そして相手の提示した金額の10分の1の値段を伝えてそれでダメならNO thank youね。
と無茶苦茶な交渉を楽しんでいた。
宿に向かう道中で5人ほどの商人をあしらってまず宿に着いた。
旅行2日目からお腹を下し、ずっと下痢続きの2人。
幼馴染は特にニューデリーに着いた頃からひどくベットに横たわってダウンしていた。
宿の下の売店でコーラを2本買い幼馴染に差し出す。
瓶の冷えたコーラはクソ暑いインドの街では格別美味かった。
寝転びながら幼馴染に残金を聞くと0ルピーという。
「お前インド人より金持ってないな」
と下痢で苦しみながらでも人は笑えると知った。
少し落ち着いて来たのでニューデリーでのミッションを始める事にした。
バナーラシのクミコハウスで教えてもらった日本大使館へ行き、今回のボッタクリツアーの代金を返金してもらうというミッションだ。
なんて言ったって所持金がほとんど無くそのお金が戻ってくるか否かは割と死活問題だったのだ。
外へ出てガイドブックのジャパンエンバシーつまり日本大使館へ向かった。
割と遠かったが渋々歩くことにした。
建物を覆う壁の中に立派な建物が建っていた。
門の外に居るセキュリティーは全員インド人で今回の目的を告げ中に入れてもらう。
入る際ボディチェックがあり両手を上げて持ち物検査をされた。
正面から上から順番に体をパタパタ触り、後へ手を回す。
背中からお尻に来たところでムギュっと両手でケツを鷲掴みにされた。
多分あのセキュリティーはゲイだった。
知ってか知らずに見てしまったのか後ろで見ていたもう1人のインド人と幼馴染は笑い転げていた。
マジかよという表情のまま大使館の中へ。
担当は日本人の人がしてくれた。
事の経緯を伝え、メモしておいた関係者の名前、ツーリスト名、宿泊先の宿の名前などを一通り伝えた。
担当者曰く、必ず戻ってくるという保証はないが出来るだけ努力はしてみる。
明日結果が出てからもう一度大使館へ来てほしいと伝えた後奥の部屋に戻って行った。
せっかくなので日本大使館を見て回る事にしたのだが、日本の歴史の本や日本に関する書物など棚に並べられていた事よりも掲示板に張り出された日本人の人々の写真に目が行った。
これはかつてインド旅行をして行方不明になった日本人の写真で、関係者が情報提供を求めて当人の写真、インドへ来た日時、行方不明の場所などメモを書いて貼ったものだった。
思いのほか多くの日本人が行方不明になっていて驚いた。
もちろん全員が全員生きているとは限らないので、間違いなくそのうちの何人かは死んだか殺されたかしているな。
と今までの旅を振り返って思った。
お金が戻ってくるかどうかわからないまま期待して良いかもわからなかったが日本大使館を後にした。
日中のニューデリーは流石に都会だけあって人の量、服装、街並みは他の街とは違った。
皆んな靴を履いているのだ。
一つ前のブッダガヤでは靴を履いている人なんてワイたち旅行者くらいのもので皆んな裸足だった。
ニューデリー流石やなと感心しているや否や大きいクラクションがブーブーなり出した。
何事かと振り向くと大通りのど真ん中を牛たちが颯爽と、限り中ゆっくり歩いていて後ろの車たちは大渋滞をおこしていた。
道のど真ん中に牛が歩いているのもビックリだがよく見渡すと電信柱から野生の猿が降りて来たり電線を伝って移動していた。
大きな木の下では屋外床屋が客の散発をしている。
全身ペイントされた牛もいる。
原付1台に5人乗りの家族もいる。
野生と人間社会の境界線がひどく曖昧な街(国)だなとしみじみ思った。
その日は簡単な軽食で晩御飯を済ませた。
日本から持って来ていた粉末のポカリスエットをミネラルウォーターに溶かして飲んだ時はこの世のものとは思えないほど美味かった。
翌朝、約束の時間に再び大使館へ向かう。
また昨日と同じボディチェックだ。
警備員は昨日のゲイとは違いボディチェックはビックリするくらいあっさりと終わった。
昨日のゲイがわざとゆっくり時間をかけて体に触っていたんだと今更ながら気づいた。
担当の人を呼んでもらいしばらくすると昨日の人が来た。
そしてどうだったか事情を聞くと何とお金が返って来たのだ。
全額ではないが一部のお金が戻って来た。
話を聞くとツーリスト曰くボッタクリとはいえツアーもした訳だしこちらもいくらか経費をかけているので全額返金は厳しい。
1部の金額ならそれに応じれるとの事だったみたいでこの金額でも大丈夫かと聞かれたのだがもちろんバンザイである。
4分の1ほど返金され一気に生き返った気分になった。
大使館から街まではすぐにタクシーを拾い、お腹が空いていたのでインド旅行初のマックへ行った。
流石に宗教の関係で豚を使ったメニューは無く全てチキンだ。
しかも味付けはスパイス系がいくつもありバリエーション豊富でマックは世界中でもマックだから味は大丈夫だろうと信用していた。
悪くはなかったがやはりベースにインド風があったので今回の旅行中に食べた食べ物で1番にはならなかった。
むしろサイドメニューでつけたソフトクリームがレベチで1番美味かった。
普通のソフトクリームなのだが今まで食べて来たものが合わなさすぎてソフトクリームですら感動を覚えるほどの味だった。
今回の旅行の食事で1番贅沢な食べ物がマックというギリギリっぷりにも驚くがまぁそれは1番の目的ではなかったので仕方ない。
そうこうしているうちにすぐに夕方を迎えた。
荷物をまとめ、タクシーを拾う。
またボッタクられる事も懸念して最初に値段交渉をする。
こういう対策は体で覚えて来た。
まともなタクシー運転手だったのでそのまま荷物をトランクから受け取り空港へ向かう。
手荷物を預けて最後のフライトで日本へ飛び立った。
機内食のインド料理が食べ収めかと思うと少し寂しく懐かしいような気もしたが味はやはりインド風だった。
関空直行便のエアインディアの飛行機は着々と日本へ向かう。
まるで修行のような旅行を終えた2人は出国した時に比べて明らかに痩せていた。
ダイエットしたい?
インド行けば一発で痩せるで。
と言えるほど痩せる。
この旅行で体験したことは人生においてとても貴重だ。
10年以上前の思い出にも関わらずに今も要所要所の場面は鮮明に覚えている。
若気の至りといえば無茶な旅行だったが今もこうして生きているしこんなアホな奴らも居るという事で今生きづらさを感じている人全てに笑い飛ばしてもらい、その人たちが少しでも生きる元気を取り戻してもらえたらという気持ちで今回のインド旅行記を書かせてもらいました。
振り返ってみると我ながら無茶なことしてるなと思いましたが良い思い出として死ぬまで覚えていることでしょう。
長編続きの日記になりましたがここまで気長に読んで頂いた皆様に大変感謝いたします。
ジローです!
インド旅行もとうとう最後の街へ向かう列車の中。
行く先々で待ち受ける困難しかない道中で人と出会い、出来事と出会い、見知らぬ土地でその街の風土に圧倒されつつもインドという国でなんとか生きながらえて来た。
最後の街ニューデリーでの滞在はどんな出来事が待っているのか…
明け方4時過ぎの、うっすらと日が昇り始めた頃、車内の慌ただしい掛け声と共に目が覚めた。
「チャイ、チャイ、チャイ、チャイ」
「チャイ屋、チャイ屋、チャイ屋」
車内でチャイ売りのオヤジ2人が甲高い声と低い声で乗客1人1人にチャイを売って回っている。
幼馴染は目の前まで顔を近づけられ、
「チャイ屋」
の一言で飛び起きていた。
せっかくなのでと1杯のチャイをもらう。
まだ到着までしばらくありそうだが寝ぼけ眼で寝台の上へ座ってボーッとしていた。
最後の街でいかに過ごそうか。
残金の少なさに最後の空港までのタクシー代と食事代が何とか捻出できるか、もしくは1食くらいは我慢しないといけないくらいのギリギリな状態だった。
朝の強い日が照りつける中列車はニューデリーに着いた。
都心であるニューデリーは流石に行き交う人の量と物売りの商人で溢れかえっていた。
道ゆく人に背中いっぱいに背負ったお土産のようなものを売ろうとそこら中から寄って話しかけてくる。
今までの旅の経験からここまで来るとあしらい方を心得ており、こちらとて買うつもりは一切ない。
断るにしてもNOと言っても粘ってくることも承知していたのでまず値段を聞く。
そして相手の提示した金額の10分の1の値段を伝えてそれでダメならNO thank youね。
と無茶苦茶な交渉を楽しんでいた。
宿に向かう道中で5人ほどの商人をあしらってまず宿に着いた。
旅行2日目からお腹を下し、ずっと下痢続きの2人。
幼馴染は特にニューデリーに着いた頃からひどくベットに横たわってダウンしていた。
宿の下の売店でコーラを2本買い幼馴染に差し出す。
瓶の冷えたコーラはクソ暑いインドの街では格別美味かった。
寝転びながら幼馴染に残金を聞くと0ルピーという。
「お前インド人より金持ってないな」
と下痢で苦しみながらでも人は笑えると知った。
少し落ち着いて来たのでニューデリーでのミッションを始める事にした。
バナーラシのクミコハウスで教えてもらった日本大使館へ行き、今回のボッタクリツアーの代金を返金してもらうというミッションだ。
なんて言ったって所持金がほとんど無くそのお金が戻ってくるか否かは割と死活問題だったのだ。
外へ出てガイドブックのジャパンエンバシーつまり日本大使館へ向かった。
割と遠かったが渋々歩くことにした。
建物を覆う壁の中に立派な建物が建っていた。
門の外に居るセキュリティーは全員インド人で今回の目的を告げ中に入れてもらう。
入る際ボディチェックがあり両手を上げて持ち物検査をされた。
正面から上から順番に体をパタパタ触り、後へ手を回す。
背中からお尻に来たところでムギュっと両手でケツを鷲掴みにされた。
多分あのセキュリティーはゲイだった。
知ってか知らずに見てしまったのか後ろで見ていたもう1人のインド人と幼馴染は笑い転げていた。
マジかよという表情のまま大使館の中へ。
担当は日本人の人がしてくれた。
事の経緯を伝え、メモしておいた関係者の名前、ツーリスト名、宿泊先の宿の名前などを一通り伝えた。
担当者曰く、必ず戻ってくるという保証はないが出来るだけ努力はしてみる。
明日結果が出てからもう一度大使館へ来てほしいと伝えた後奥の部屋に戻って行った。
せっかくなので日本大使館を見て回る事にしたのだが、日本の歴史の本や日本に関する書物など棚に並べられていた事よりも掲示板に張り出された日本人の人々の写真に目が行った。
これはかつてインド旅行をして行方不明になった日本人の写真で、関係者が情報提供を求めて当人の写真、インドへ来た日時、行方不明の場所などメモを書いて貼ったものだった。
思いのほか多くの日本人が行方不明になっていて驚いた。
もちろん全員が全員生きているとは限らないので、間違いなくそのうちの何人かは死んだか殺されたかしているな。
と今までの旅を振り返って思った。
お金が戻ってくるかどうかわからないまま期待して良いかもわからなかったが日本大使館を後にした。
日中のニューデリーは流石に都会だけあって人の量、服装、街並みは他の街とは違った。
皆んな靴を履いているのだ。
一つ前のブッダガヤでは靴を履いている人なんてワイたち旅行者くらいのもので皆んな裸足だった。
ニューデリー流石やなと感心しているや否や大きいクラクションがブーブーなり出した。
何事かと振り向くと大通りのど真ん中を牛たちが颯爽と、限り中ゆっくり歩いていて後ろの車たちは大渋滞をおこしていた。
道のど真ん中に牛が歩いているのもビックリだがよく見渡すと電信柱から野生の猿が降りて来たり電線を伝って移動していた。
大きな木の下では屋外床屋が客の散発をしている。
全身ペイントされた牛もいる。
原付1台に5人乗りの家族もいる。
野生と人間社会の境界線がひどく曖昧な街(国)だなとしみじみ思った。
その日は簡単な軽食で晩御飯を済ませた。
日本から持って来ていた粉末のポカリスエットをミネラルウォーターに溶かして飲んだ時はこの世のものとは思えないほど美味かった。
翌朝、約束の時間に再び大使館へ向かう。
また昨日と同じボディチェックだ。
警備員は昨日のゲイとは違いボディチェックはビックリするくらいあっさりと終わった。
昨日のゲイがわざとゆっくり時間をかけて体に触っていたんだと今更ながら気づいた。
担当の人を呼んでもらいしばらくすると昨日の人が来た。
そしてどうだったか事情を聞くと何とお金が返って来たのだ。
全額ではないが一部のお金が戻って来た。
話を聞くとツーリスト曰くボッタクリとはいえツアーもした訳だしこちらもいくらか経費をかけているので全額返金は厳しい。
1部の金額ならそれに応じれるとの事だったみたいでこの金額でも大丈夫かと聞かれたのだがもちろんバンザイである。
4分の1ほど返金され一気に生き返った気分になった。
大使館から街まではすぐにタクシーを拾い、お腹が空いていたのでインド旅行初のマックへ行った。
流石に宗教の関係で豚を使ったメニューは無く全てチキンだ。
しかも味付けはスパイス系がいくつもありバリエーション豊富でマックは世界中でもマックだから味は大丈夫だろうと信用していた。
悪くはなかったがやはりベースにインド風があったので今回の旅行中に食べた食べ物で1番にはならなかった。
むしろサイドメニューでつけたソフトクリームがレベチで1番美味かった。
普通のソフトクリームなのだが今まで食べて来たものが合わなさすぎてソフトクリームですら感動を覚えるほどの味だった。
今回の旅行の食事で1番贅沢な食べ物がマックというギリギリっぷりにも驚くがまぁそれは1番の目的ではなかったので仕方ない。
そうこうしているうちにすぐに夕方を迎えた。
荷物をまとめ、タクシーを拾う。
またボッタクられる事も懸念して最初に値段交渉をする。
こういう対策は体で覚えて来た。
まともなタクシー運転手だったのでそのまま荷物をトランクから受け取り空港へ向かう。
手荷物を預けて最後のフライトで日本へ飛び立った。
機内食のインド料理が食べ収めかと思うと少し寂しく懐かしいような気もしたが味はやはりインド風だった。
関空直行便のエアインディアの飛行機は着々と日本へ向かう。
まるで修行のような旅行を終えた2人は出国した時に比べて明らかに痩せていた。
ダイエットしたい?
インド行けば一発で痩せるで。
と言えるほど痩せる。
この旅行で体験したことは人生においてとても貴重だ。
10年以上前の思い出にも関わらずに今も要所要所の場面は鮮明に覚えている。
若気の至りといえば無茶な旅行だったが今もこうして生きているしこんなアホな奴らも居るという事で今生きづらさを感じている人全てに笑い飛ばしてもらい、その人たちが少しでも生きる元気を取り戻してもらえたらという気持ちで今回のインド旅行記を書かせてもらいました。
振り返ってみると我ながら無茶なことしてるなと思いましたが良い思い出として死ぬまで覚えていることでしょう。
長編続きの日記になりましたがここまで気長に読んで頂いた皆様に大変感謝いたします。
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