1/7 02:46 UP!
怪奇、懐疑的怪文書長編
東京秘密基地ゆうたです
自己の問題は自己の中に眠るもの
世界は変えられないが自分の世界は変えることができるもの
遊園地にありがちなメリーゴーランドとコーヒーカップ
ディズニーリゾートにもあるし、ほとんど遊園地の遊具として想像しうるものとして必ずこれと言っても過言ではないのでは。
私は遊園地の遊具の中でもメリーゴーランドとコーヒーカップに惹かれます。
ただなんとなく形容し難い魅力を感じ、羽虫が殺虫灯に寄るが如く抗い難い魅力に誘発されていました。
しかしどんな細事にも原因と結果があるもので、自分で「なんでこんなに惹かれるんだろう」と日本酒に焼かれた脳みそでメルトダウンしたシナプスに電気信号を二進数で送りながら考えて過ごした年末年始でした。
(これ書いている時も泥酔しているので、それを踏まえてよんでくだちい)
〜
過去に没入し因果を振り返る日々の中で一つの記憶が呼び覚まされました。
今はもう閉園した遊園地での遠い日の記憶、私はまだ子供の頃、両親と友人達と友人達の親達と、遊園にて遊回する日を過ごしていました。学校地域の行事だったのかなとぼんやりと覚えています。
その遊園地は入場料が無料で遊具にて遊ぶ毎にチケットを消費するというシステムでした。
私は……空飛ぶ椅子、ジェットコースター、観覧車〜メリーゴーランドとコーヒーカップに乗りたかったのです。
しかし、両親はメリーゴーランドとコーヒーカップにだけは乗せてくれず、その代わりバイキングとゴーカートに乗せてくれました。
私は特段ごねるタイプじゃなかったので両親が言った通りに乗り物に乗りました。
両親曰く
・チケット単価が悪い
・もっと派手なのに乗る方がいい
・回るだけで楽しくない
・子供騙した
と、説明してくれました。
その時の記憶を鮮明に覚えています。兄が飲んでいたジュースの種類や両親が着ていた上着、友人が食べていたアイスの種類まで鮮明にそのシーンを覚えています。(ガンバ大阪の小銭入れに入っていた500円で何のお菓子を買おうかとかも考えていました)
まあ、私はメリーゴーランドに乗りたかったしコーヒーカップで気持ち悪くなるまで回ってみたかった訳です。
そこに帰結するのですが、この30歳を過ぎてまで引き延ばされてきた今の今まで、思考の根源に引っ張られた後悔が泥土のように澱深く沈み込んで心の根っこに残っていたわけです。
私が乗れなかったメリーゴーランドはもうないですし、大人になって何度もコーヒーカップにも乗りました。
それでも、私の趣向を歪めたり決めたりしたのはあの時の両親の選択があって、こういう覚えてすらいない庇護者の取捨選択が良くも悪くも自分を形成したのだなぁと半分崩壊しかけた自我の酔っ払いは結論づけました。
別にたかが遊具なんですが、子供の頃に乗ってたらこんなに執着しなかっただろうとも自己認識します。
こういうものは食べ物であったり、性癖であったり、、ありとあらゆる趣向の矢印の向きや大きさ強さを無責任に決定してしまうのだなぁ……と考えました。
私が親ならどうしただろう。
親も良かれと思って「つまらないメリーゴーランドよりバイキングに乗せてやりたい」と思ったでしょうし、親の経験則を子に伝えたのです。「勉強しろ
」「好き嫌いするな」「挨拶をしっかりしろ」「きちんと箸を持て」と教わりました。
一つ一つが温故知新の歴史の元、日の元で暮らす親の愛情と教えです。
でも、私は、僕は、なんでメリーゴーランドやコーヒーカップが一つ下がるかの理由を説明されたら理解できる子供だったと思うし、それでも体験して後悔してもいいレベルの物事だったとも思います。
相手がどう受け止めるかを、ようよう考えるようになったのもこの出来事は契機として起因しているようにも思えます。
もちろんこれだけで自己形成されたわけではないですが。
この話のオチとしては、おかげで今私はメリーゴーランドにのるとめちゃくちゃワクワクしますし、コーヒーカップに乗ると吐くほど全力で回します。
これはいい副事産物です(ΦωΦ)フフフ…
でも、もし私が人に何かを伝えられるなら、どうしてそうなのか理由や理屈や歴史を伝え、その上で「あなたはどう思う?」と聞いてあげられる人でいたいと思います。
失敗しても立ち上がれる失敗なら失敗させてみるのもいいと思います。
自分が残した後悔の中でやっぱり
あの時にあの人にお年玉貰いに行かなかったこと、の記憶ほど最低な気持ちになる人生の失敗はないですが、、取り返せる失敗ならいっぱいすればよかったなぁと思うし、今後も取り返せる失敗は恐れないでいようと思います。死ななきゃ安い。
〜
馬に乗ってキラキラした景色を回るのも、意識レベル下がるくらいカップでシェイクされるのも楽しいじゃん。お父さんもお母さんも本気で楽しんだことないなら損してたなぁ。今度教えてやるよ遊園地の本当の楽しさってやつをな!
おわり
自己の問題は自己の中に眠るもの
世界は変えられないが自分の世界は変えることができるもの
遊園地にありがちなメリーゴーランドとコーヒーカップ
ディズニーリゾートにもあるし、ほとんど遊園地の遊具として想像しうるものとして必ずこれと言っても過言ではないのでは。
私は遊園地の遊具の中でもメリーゴーランドとコーヒーカップに惹かれます。
ただなんとなく形容し難い魅力を感じ、羽虫が殺虫灯に寄るが如く抗い難い魅力に誘発されていました。
しかしどんな細事にも原因と結果があるもので、自分で「なんでこんなに惹かれるんだろう」と日本酒に焼かれた脳みそでメルトダウンしたシナプスに電気信号を二進数で送りながら考えて過ごした年末年始でした。
(これ書いている時も泥酔しているので、それを踏まえてよんでくだちい)
〜
過去に没入し因果を振り返る日々の中で一つの記憶が呼び覚まされました。
今はもう閉園した遊園地での遠い日の記憶、私はまだ子供の頃、両親と友人達と友人達の親達と、遊園にて遊回する日を過ごしていました。学校地域の行事だったのかなとぼんやりと覚えています。
その遊園地は入場料が無料で遊具にて遊ぶ毎にチケットを消費するというシステムでした。
私は……空飛ぶ椅子、ジェットコースター、観覧車〜メリーゴーランドとコーヒーカップに乗りたかったのです。
しかし、両親はメリーゴーランドとコーヒーカップにだけは乗せてくれず、その代わりバイキングとゴーカートに乗せてくれました。
私は特段ごねるタイプじゃなかったので両親が言った通りに乗り物に乗りました。
両親曰く
・チケット単価が悪い
・もっと派手なのに乗る方がいい
・回るだけで楽しくない
・子供騙した
と、説明してくれました。
その時の記憶を鮮明に覚えています。兄が飲んでいたジュースの種類や両親が着ていた上着、友人が食べていたアイスの種類まで鮮明にそのシーンを覚えています。(ガンバ大阪の小銭入れに入っていた500円で何のお菓子を買おうかとかも考えていました)
まあ、私はメリーゴーランドに乗りたかったしコーヒーカップで気持ち悪くなるまで回ってみたかった訳です。
そこに帰結するのですが、この30歳を過ぎてまで引き延ばされてきた今の今まで、思考の根源に引っ張られた後悔が泥土のように澱深く沈み込んで心の根っこに残っていたわけです。
私が乗れなかったメリーゴーランドはもうないですし、大人になって何度もコーヒーカップにも乗りました。
それでも、私の趣向を歪めたり決めたりしたのはあの時の両親の選択があって、こういう覚えてすらいない庇護者の取捨選択が良くも悪くも自分を形成したのだなぁと半分崩壊しかけた自我の酔っ払いは結論づけました。
別にたかが遊具なんですが、子供の頃に乗ってたらこんなに執着しなかっただろうとも自己認識します。
こういうものは食べ物であったり、性癖であったり、、ありとあらゆる趣向の矢印の向きや大きさ強さを無責任に決定してしまうのだなぁ……と考えました。
私が親ならどうしただろう。
親も良かれと思って「つまらないメリーゴーランドよりバイキングに乗せてやりたい」と思ったでしょうし、親の経験則を子に伝えたのです。「勉強しろ
」「好き嫌いするな」「挨拶をしっかりしろ」「きちんと箸を持て」と教わりました。
一つ一つが温故知新の歴史の元、日の元で暮らす親の愛情と教えです。
でも、私は、僕は、なんでメリーゴーランドやコーヒーカップが一つ下がるかの理由を説明されたら理解できる子供だったと思うし、それでも体験して後悔してもいいレベルの物事だったとも思います。
相手がどう受け止めるかを、ようよう考えるようになったのもこの出来事は契機として起因しているようにも思えます。
もちろんこれだけで自己形成されたわけではないですが。
この話のオチとしては、おかげで今私はメリーゴーランドにのるとめちゃくちゃワクワクしますし、コーヒーカップに乗ると吐くほど全力で回します。
これはいい副事産物です(ΦωΦ)フフフ…
でも、もし私が人に何かを伝えられるなら、どうしてそうなのか理由や理屈や歴史を伝え、その上で「あなたはどう思う?」と聞いてあげられる人でいたいと思います。
失敗しても立ち上がれる失敗なら失敗させてみるのもいいと思います。
自分が残した後悔の中でやっぱり
あの時にあの人にお年玉貰いに行かなかったこと、の記憶ほど最低な気持ちになる人生の失敗はないですが、、取り返せる失敗ならいっぱいすればよかったなぁと思うし、今後も取り返せる失敗は恐れないでいようと思います。死ななきゃ安い。
〜
馬に乗ってキラキラした景色を回るのも、意識レベル下がるくらいカップでシェイクされるのも楽しいじゃん。お父さんもお母さんも本気で楽しんだことないなら損してたなぁ。今度教えてやるよ遊園地の本当の楽しさってやつをな!
おわり
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