10/9 19:43 UP!
9月の御礼とこれからのこと。
ご無沙汰してます、ゆずるです。
前回の日記で「これからは結構なペースで日記投稿するぜっ!!」と意気込んでましたがこのありさまです。
こうやって自分で自分の評価を下げていくんだなぁ…
本当に有言実行をしている人を尊敬します。
でもまぁ過ぎたことはしょうがないのでこれから頑張っていこうと思います。
最近、開き直ることを覚えました。
※この日記を書き始めたのは24/10/1です
と、言うことで改めまして9月もありがとうございました。
仲間が減ったり、増えたり、兼業のやり方が変わってシフトが変わったり色んな環境の変化がありましたがそれでもなんとか僕史上では過去一の結果でやり切れたので本当に恵まれているなと思いました。ありがとうございます。
「あれ?そう言えばあの人最近ポストしてないよな…」と思って調べようとするとXという世界にはもう存在しておらず、このホームページで調べても白文字のピンクの背景で
[該当するセラピストがいません。]
という何とも言い難い一文を突きつけられる。
月初の恒例行事であるこのやるせない感情は今回も例外なくやって来ましたが、前進する為のものだろうと思うので、上からで偉そうですが頑張って欲しいし応援してます。僕も頑張ります。
そしてこの感情の何倍も強い想いをユーザーさんは感じているんだろうと思うと本当に一期一会なんだなと改めて認識しました。
たった1回、人生という果てしなく長い時間の中のたかだか90分だとしてもこの先、何かのタイミングで思い出したりするかもしれないって凄いよなぁ。
昨日の夜ご飯ですらすぐに思い出せないのに初めて会った時の恥ずかしそうな顔は覚えてるものです。これはこの先ずっと覚えてると思います。
出会ってくれてありがとうございます。
そんなことを考える今日この頃。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
気付けばセミの鳴き声が鈴虫の鳴き声に代わり、涼しくなったと思ったらまた暑くなったりとコロコロ変わりますね。
コロコロコミックでは学級王ヤマザキが好きだった僕はと言うと環境が目まぐるしく変わる中で優先順位、取捨選択、ありたい姿…などが分からなくなってきたのでここらでもう一度考えてみました。
詳細は割愛するとして最終的に思ったことは
「何かに挑戦し、成長を実感出来た」時にやりがいや生きがいのようなものを感じられるんだなと。それがあるからこそ付属で手に入る安寧が幸せなんだろうなと。
そう思ったわけです。
今思っただけだからまたすぐ変わると思います。
きっとそういうものなんです。
…そんな文章を、今電車に乗りながら書いているとヘルプマークを付けた方が乗ってこられたので席を譲りました。とても喜んでいただいたのでこちらも嬉しいです。
せっかくなので電車に立ちながら小話をさせてくださいな。
僕は昔から電車の席を譲ることが多かった方です。なぜなら喜んでくれるから。
大学3年生の時に同じように席を譲った時、隣の車両まで聞こえるぐらいの大きな声で
「あんた何わたしを年寄り扱いしてんのよ!全く馬鹿にして!!」
と言われてとっても驚いたことを思い出しました。
そこからそれが怖くて譲ることが怖くなり、何度か寝たふりとかをしてた気がします。
怒られるぐらいなら「この人は譲ってくれないんだな」と思われても何も言われないならそれで良い…なんて思ってたはずです。
ほんの少し時間が経ち、また譲るようになり、今では
【「あ、ここで降りるんだー!」感を出しながら電車を降りて同じ電車の2両隣に乗り直す】
という今の自分の中での最適解を見つけ今に至ります。
これを駆使してヘルプマークや妊婦マークを付けていない方にも怒られずに、かつ相手に罪悪感を感じさせずに席を譲ることが出来ましたが、ここで2つだけ懸念点があり、それは何かというと
①喜んで(感謝して)貰えない
②席を譲りたい方じゃない元気な方が座ってしまう
ということ。
①はどうでも良いです。
問題は②
もちろん僕が声を掛けていないのが悪いのですがこの懸念点をどうにかしたいと日々模索してます。
…とかなんとか行ってたら電車が目的地に着きました。
電車から降りるので今回はこの辺で。
と思ったら席を譲った方に感謝されたので今日はとっても良い日だなぁ。
以上、譲る(ゆずる)話でした。
嘘です、9月のお礼とこれからも頑張りますというお話でした。
引き続き、これからもどうぞよろしくお願いいたします!
前回の日記で「これからは結構なペースで日記投稿するぜっ!!」と意気込んでましたがこのありさまです。
こうやって自分で自分の評価を下げていくんだなぁ…
本当に有言実行をしている人を尊敬します。
でもまぁ過ぎたことはしょうがないのでこれから頑張っていこうと思います。
最近、開き直ることを覚えました。
※この日記を書き始めたのは24/10/1です
と、言うことで改めまして9月もありがとうございました。
仲間が減ったり、増えたり、兼業のやり方が変わってシフトが変わったり色んな環境の変化がありましたがそれでもなんとか僕史上では過去一の結果でやり切れたので本当に恵まれているなと思いました。ありがとうございます。
「あれ?そう言えばあの人最近ポストしてないよな…」と思って調べようとするとXという世界にはもう存在しておらず、このホームページで調べても白文字のピンクの背景で
[該当するセラピストがいません。]
という何とも言い難い一文を突きつけられる。
月初の恒例行事であるこのやるせない感情は今回も例外なくやって来ましたが、前進する為のものだろうと思うので、上からで偉そうですが頑張って欲しいし応援してます。僕も頑張ります。
そしてこの感情の何倍も強い想いをユーザーさんは感じているんだろうと思うと本当に一期一会なんだなと改めて認識しました。
たった1回、人生という果てしなく長い時間の中のたかだか90分だとしてもこの先、何かのタイミングで思い出したりするかもしれないって凄いよなぁ。
昨日の夜ご飯ですらすぐに思い出せないのに初めて会った時の恥ずかしそうな顔は覚えてるものです。これはこの先ずっと覚えてると思います。
出会ってくれてありがとうございます。
そんなことを考える今日この頃。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
気付けばセミの鳴き声が鈴虫の鳴き声に代わり、涼しくなったと思ったらまた暑くなったりとコロコロ変わりますね。
コロコロコミックでは学級王ヤマザキが好きだった僕はと言うと環境が目まぐるしく変わる中で優先順位、取捨選択、ありたい姿…などが分からなくなってきたのでここらでもう一度考えてみました。
詳細は割愛するとして最終的に思ったことは
「何かに挑戦し、成長を実感出来た」時にやりがいや生きがいのようなものを感じられるんだなと。それがあるからこそ付属で手に入る安寧が幸せなんだろうなと。
そう思ったわけです。
今思っただけだからまたすぐ変わると思います。
きっとそういうものなんです。
…そんな文章を、今電車に乗りながら書いているとヘルプマークを付けた方が乗ってこられたので席を譲りました。とても喜んでいただいたのでこちらも嬉しいです。
せっかくなので電車に立ちながら小話をさせてくださいな。
僕は昔から電車の席を譲ることが多かった方です。なぜなら喜んでくれるから。
大学3年生の時に同じように席を譲った時、隣の車両まで聞こえるぐらいの大きな声で
「あんた何わたしを年寄り扱いしてんのよ!全く馬鹿にして!!」
と言われてとっても驚いたことを思い出しました。
そこからそれが怖くて譲ることが怖くなり、何度か寝たふりとかをしてた気がします。
怒られるぐらいなら「この人は譲ってくれないんだな」と思われても何も言われないならそれで良い…なんて思ってたはずです。
ほんの少し時間が経ち、また譲るようになり、今では
【「あ、ここで降りるんだー!」感を出しながら電車を降りて同じ電車の2両隣に乗り直す】
という今の自分の中での最適解を見つけ今に至ります。
これを駆使してヘルプマークや妊婦マークを付けていない方にも怒られずに、かつ相手に罪悪感を感じさせずに席を譲ることが出来ましたが、ここで2つだけ懸念点があり、それは何かというと
①喜んで(感謝して)貰えない
②席を譲りたい方じゃない元気な方が座ってしまう
ということ。
①はどうでも良いです。
問題は②
もちろん僕が声を掛けていないのが悪いのですがこの懸念点をどうにかしたいと日々模索してます。
…とかなんとか行ってたら電車が目的地に着きました。
電車から降りるので今回はこの辺で。
と思ったら席を譲った方に感謝されたので今日はとっても良い日だなぁ。
以上、譲る(ゆずる)話でした。
嘘です、9月のお礼とこれからも頑張りますというお話でした。
引き続き、これからもどうぞよろしくお願いいたします!